日曜日, 10月 31, 2010

「律」のことで。

律という言葉について、いろいろ興味深いことをみつけた。たとえば、真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺のWebサイトで戒律の戒と律について書かれている内容を抜粋すると、「戒」とはあくまで自発的な決意に基づいた、日常における行為の原則・指標となる心がけであり、「律」とは、釈尊が僧侶に対してのみ定められ、今も僧侶であるならばすべからく行うべき、罰則を伴う禁止事項や行事規定と述べられている。

また、もっとも日常的につかうであろう律の用法である「法律」については、仏陀が残された教法を後世に伝えるための教法編集の大会議で初めて、仏陀の高弟達によってブッダの残された教えは、法(Dharma[ダルマ])と律(Vinaya[ヴィナヤ])、あるいは律蔵・経蔵・論蔵の三蔵(の原型)にまとめられた。とあり、おそらくこの法と律が「法律」のゆえんなのだろう。

仏教ではこのように「律」について解釈される。だけど、仏教用語ということだとあまり身近ではないし、この記事を書こうとおもったきっかけで、もうちょっと身近で興味のある「音律」の「律」について調べてみた。

・・調べれば調べるほどしっくりくる説明が実は無い。物理でみれば、音は人間が可聴できる空中を伝播する弾性波であり、その波周波数の関係を規定することによって結びつけられた一組のピッチクラスが音律となる。それを比(比率)として音階を決めていくことを広義では示すのだろう。

さらに音律としていえば、現在知られている最初の音律といわれるのが「ピタゴラス音律」であり、そこで導かれた「ピタゴラスのコンマ」により正確なオクターブの関係を得られないという謎が存在する。旋律としてここちよくても、和音ではウナリ(ウルフ)がおこることは、人間が可聴できるレベルでは調律法をかえたり、機械的に補正するなどの方法がいくつかあるけど完全には解決できない謎である。

そんな感じで、仏教の「律」とピタゴラスの音「律」についてみていくと、一方では2つの釈迦が僧侶に対してのみ定めるという「律」は釈迦と僧侶という関係相対的で決まりごとを定めたことであり、ピタゴラスの音「律」では正確なオクターブの関係を得られないとする「律」を表している。うーん奥が深い。。



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