火曜日, 1月 19, 2010

Where?





Where?


Originally uploaded by gakineko



Where?



今週は暖かいらしい。空気が澄んでると、南西に富士山で北東に筑波山が見えてロケーションとしては良いかも。新タワーのスカイツリーはどの辺りか、ちょっと判んなかった。



Uploaded by gakineko on 18 Jan 10, 2.47AM PST.



月曜日, 1月 18, 2010

何のため?目的意識

すばらしいチャンスは、ごく平凡な情景の中に隠れている。 
それは、強烈な目的意識を持った人の目にしか映らないものだ。
                稲盛和夫(京セラ創業者)

 

稲盛さんが、JALの再生ということでCEO就任が決まった。稲盛さんの経営に対する考え方、イズムっていうことに、以前から大変興味があり、難しいテクニカルな要件というよりも、わかりやすいエモーショナルな哲学がとても面白い。

アメーバ経営という手法は、成長こそ活力な時代には非常に有意に働き、成功のメソッドとしても高い評価がされていることは言うまでもない。

動機善なりや、私心なかりしか 

これはDDIの通信事業参入の時期、稲盛さんが半年自問自答した際の言葉です。つまり、動機は善であり、下心や事なかれ的な保身、そして自己中心悪などが動機になってはいないか、それを問うてみる重要性を説いたものです。

JALの影にかくれてしまった、ウイルコムの再生(※企業再生支援機構による企業再生)、こちらは孫さんなのかなぁ・・。動機善なりや、私心なかりしか なわけないよね、、こっちは・・。



土曜日, 1月 09, 2010

BO GUMBO3 1/21@新代田FEVER (with:甲本ヒロト)

すごく行きたい。でも駄目だ・・。

なので、だれか行ってきてきて感想よろしくおねがいできないですかね。

http://www.fever-popo.com/schedule/2010/01/21/

 

どんとさん10周忌。なのかー早いな。



金曜日, 1月 08, 2010

派遣村のアヤマチ

一昨年の末(2008-9)に、日比谷公園にできた「派遣村」。そして今年(2009-2010)もまたである。旧政権で決めたことだといえばそれまでだけど、はたしてなんかの成果ってあったのか。

一昨年の状況は、田中康夫氏いわく

>テントを張っている人々は突如企業からクビを切られたような人では無く、日々飯場のような仕事をしている人であり、「日比谷公園に行けばメシが食えるらしいぞ」と聞きつけてやってきた人が多かった。

現場にいったわけではないので田中氏の感想を率直に受ければ、下記で言われている今年のアヤマチが、その時点で垣間見えていたと思う。

派遣村 所在不明200人 就活費2万円支給後、続出

とはいえ、今年の様子はどうかと言うと下記などを見ると

特集ワイド:公設派遣村それぞれの物語 働き自立したい! 僕ら、どう見える?

「雨宮処凛がゆく!」「公設派遣村」の年末年始。の巻

前向きな人を対象にインタビューしているせいか(というか、しっかり質問に応える人は前向きだろう)アヤマチではないような気もする。だけど、こういった部分的な見方をちょとすててみると分かることがある。

それは、日本のメディアでは語られない「自殺者」と「ホームレス」問題。派遣村の名前になったように、派遣で働いていたのが切られたという就業機会が失われたといった過程の問題ではなく、その延長にある結果として起こるこの2つの問題。

派遣村なんていう名前になったのは、湯浅氏そして全国ユニオンが当初、大義名分にしたかったとしか思えない。(だけど、その点を非難する気はない)というより、くさいものにふたをせず、この際だから「ホームレス支援」「自殺者をへらす支援」として、その手段の1つとして就業支援を行うことがあたりまえの姿だと思う。

つまり結局、それぞれの立場を利用しているから利害関係が生まれるし、結果をしっかりとらえて根本治癒をしようとしないから、部分的な一時しのぎにしかならない。

なお、湯浅氏の主張する「自己責任の過剰」については理解できるところがある。自他の持つ社会資本の格差(親の所得格差、人脈の有無など本人の努力以外の部分で社会における有利不利を決定づけるもの)を見落としているといった指摘だけども、戦後しばらく90年代位まで、残念ながら日本は個を排除する労働集約、そして官僚組織型が良しとされていたので、格差について意識が希薄になっていった。

そのため、「みんな同じ」だった。そして21世紀になり、小泉内閣が壊した(格差を生んだといわれる、みんな同じの価値観を壊すような政策)まぁ個人的に思うのは、もしかすると、壊したのではなく壊れていたものに気づかなかっただけで、小泉政権で、それが露呈してしまったようにも思える。

だからこそ、自己責任も「みんな同じ」ではなくなっているはずだし、上から目線ではなく下から目線でも、自分の環境に対して同じではない、個の違いを認識すべき時期だとおもう。

戦後、なにもないところからだったから、みんなが成長できたんだろう。(成長の幅で「みんな同じ」だと勘違いしていたのかも)そして現代は成長基調が望めないから、格差が顕在化しているんだろうし、それを個の違いとして認識することが大事だと思う。

特徴的なこととして、アメリカと比べると宗教的な慈善意識、そしてボランティアや私的寄付など日本では非常にマイナーな行為だし、イメージも良いとは言えない。(現実にニセ、偽善者もいるだろうし)これらは「みんな同じ」価値観だったら、そうだとおもう。だけど、個の違いが格差として表れてきたとしたら、アメリカのような感じになれるのだろうか。

この派遣村のアヤマチは、そこだと思う。



ちぃばくん


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あげ




服部氏と峯田電機

ってことで・・以下は、峯田のブログをみていて思ったこと。
ユニコーンの「服部」は1989年に3rdアルバムとして発売だったわけで、もう20年たったわけだ。

当時、まことしやかに、山形のドンと言われていた服部敬雄(山形新聞・山形交通の社長)を皮肉したものでは?とまでいわれた、あべBの意図。今もなお、真相については一切触れられず、都市伝説化してます。ちなみに当時はFM山形が開局した年。でも流れてた気がするけど。。このFM局はアンチ山新だったような。

たしかに服部敬雄氏について言えば、いまもなお語られること自体少ない。そして健在だった70年代?90年代前半は、信じられないくらい山形という地方は排他的で保守的な文化がつよく。その背景には、この人の権力がつよくあった。

 

高校が服部邸近くにあったから、服部家の前を通る事もよくあったので覚えているが、まさに豪農。村方地主の屋敷。つねに薄暗く、重い門がとじられていて人の気配はない。(今は、遺族が県に寄付したらしいが財政難で荒れ放題らしい)

山形新聞、山形放送、山形テレビ、山形交通・・。放送事業から生活インフラまで支配されていたわけで、山形で有名な「花笠まつり」は彼が始めたことでもある。そのため、そんだけ栄華を誇った一族が、90年代まで維持そして保身のために行った独裁的な権力行使は、当時「朝日ジャーナル」で(編集長は筑紫さんだった)山形のドンといった批判記事が掲載され話題にもなった。

詳しいことは、前記したとおり多くは語られてはいない。真相はよくわからん。

でも言えるのは、彼の没後、93年の県知事選から事態は激変し、いわば自由化の波が起こって、何かが終わって、何かが始まった。そんな感じだった。(ま、県政ってことでいえば、そのあとのいわゆる高橋県政についても、結局保守の上塗りだったわけで微妙だけど。)また、続けて言うと山形市政については、服部氏と深いつながりがあったとされる当時の金沢市長も94年に辞めて、その後の市長選挙では継承した佐藤氏が勝ったけどぱっとせず、2000年に4度目の出馬となった吉村氏が念願の山形市長になった。ミニバスケやってたから、吉村氏は県バスケ協会長だったので個人的に馴染みが深く、まさに、このタイミングでやっと服部氏から脱却し変わったといえると思う。しかし残念なことに、2003年に亡くなっており、現在の山形県知事の吉村氏は吉村前市長の親族だったりもする。

てな具合に92年から95年くらいにかけて、山形は変革にあったわけで、かくいう私も脱山形して上京してきたあたりの年なわけです。

んで同じ時期というか、2つ年下だけど尊敬のまなざしでみている、峯田も(てか、峯田電機の御曹司ということを最近知った)ゴイステ96年の結成なわけで。。



みかん





みかん


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木曜日, 1月 07, 2010

あ、二十歳頃ですか。

ANNAさんの、BayFMでやっている「miracle!!」ほぼ毎日聞いているこのごろ。今日のお題は「二十歳のころ のエピソード大募集!」

リスナーさんの投稿を聞いていると、あのころが一番楽しかった的な。青春の終わり頃っていうか、社会人になるぞっていう感じをもったころだったなと、おもう方々は多いことでしょう。

ほぼ毎日聞くようになったのは、DJのANNAさんと同じ年だっていうことがわかったので、たぶん思うこともちかしいのかもしれず(^_^)、リスナーの人も同じ世代もおおいから語られるエピソードについても、いろいろ共感できるわけです。

ってことで来週は、成人式。二十歳の誓い。元服、イニシエーション。

たしかに、よくいわれるように二十歳のころってのは未来への希望とか夢とかを、最大に膨らませていたような気がするし、確かにそれ以降は縮む一方だし。っていうのも脳細胞の数の減少が始まったせいかもしれないし、現実社会に接することがやっと始まったせいかもしれないし、年金と選挙権と酒とたばこのせいかもしれない。

いずれにせよ、あのころは良かった?ってな感じ、いけナイけど、しょうがもない。

ことすもガンバルマスワ、おねでとうございます2010年あけました。