火曜日, 4月 26, 2011

カルネアデスの板

「カルネアデスの板」とは古代ギリシアの哲学者「カルネアデス」が提唱した概念で命が危険にさらされる非常事態において、殺人を犯さざるを得ない場合での選択とその場合での殺人は罪になるかを問われたもの。
存在に対して価値判断がなされ、守るべきものとそれ以外の"例外"とが線引きされる。残念だけどそれが世の中というものだし刑法第37条「緊急避難」がこれにあたるとされる。たとえば
「 あなたは登山隊の一員です。
 急峻な絶壁を先頭をきって登ろうとしていた時に、アクシデントが起きました。ハーケンで固定していたはずのザイルが岸壁から外れてしまいパーティは絶壁にザイル1本で宙づりになってしまいます。あなたひとりの体重であれば、かろうじて切れないザイルは登山隊全員の荷重には耐えきれません。あなたは、自分の下でザイルを切断することによりあなただけが難を逃れました。あなたの行為は、その罪を問われるのか?」
・・・といったもの。罪に問うことはできない。だけど一生違う何かを背負うことになるのだろう。
今回の fukushima は関東に住む人、強いては日本人すべてが新たな何かを背負うことになるだろう。Hiroshima,Nagasaki から66年。皮肉なことに原子力の軍事的な利用、そして平和的な利用の両面で何かを背負うことになることだろう。

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