月曜日, 9月 14, 2009

「苦労は買ってでもしろ」の意味について

「苦労は買ってでもしろ」。
最近気になるコトバですハイ。なぜなら、この言葉(ことわざ)には本来「若いころは」といった主語がくる。若くなかったら苦労は避けるべきということにも逆にいえばあてはまる。さて、これは正しいのか。
諸説あるが、ネットで調べたら「若い時の苦労は買うてもせよ」が正しくて、若い時の苦労は、将来必ず役立つから、自分から進んで苦労せよということらしい。類義語として「鉄は熱いうちに打て」といった感じ。
つまり苦労がテーマではなく、精神が柔軟で、吸収する力のある若いうちに「苦労」をすることで必ずしや後で自分のためになる。といっても、どううしても否定的な気持ちになるのは「苦労」をして報われる保証がないから、と思う人も多いと感じる。
だから、これももう一言加えて咀嚼する必要があって「夢」や「目的」をかなえる、達成するにはという「道」である。つまり自分の道理至極に従って若いことに苦労することは買ってでもしなさい。それは成長の糧となる、といった解釈になるのかもしれない。

じゃ、若くないならどうか、これは自身が歩んできた人生観によるとおもう。できればみんな苦労を避けたいし、まして買ってでもするには対価として得られる
価値が保証されていなければ無駄なことだと考えるだろうし。そう考えるとやっかいな大人が多いのもわかる気がする。つまり何が言いたいかというと、若いこ
ろに夢や自己実現のために苦労は買ってでもすべきなのはわかったけど、夢も自己実現・キャリアパスも見つけられないような状況になっているような大人に
とって、逆説的にいえば、苦労は売ってでもしない。そんなわけなのだろう。

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