月曜日, 3月 30, 2015

拠り所 

心の拠り所と守るべき人を持たなくなった日本人
~ 親も兄弟姉妹も、友達も学校もみんな嫌い
http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=45

最近の出来事というか、感じることでモヤモヤしていたことを2010年3月のサファイアさんのブログ『日本の面影』にまさに書いてあってそれを書きます。

“物質的にめぐまれ、食うに困らない。楽しいゲーム、アニメもいっぱい。
セックスだって、あっちこっちで好き放題。
しかし、何も残るものはなく、心の寄り所もなく、いつまで経っても疎外感しか残らない。“

そう。ただこれ自体が良い悪いの判断は考える角度によってちがうし、既にそういう環境にいざるを得ない、またはそれ以外の環境をしらない子らは判断さえ必要ない事なのかもしれない。
人がやっぱり生きてくのって一人じゃ無理だし、どうしようもなくなって、そのときに『拠り所』っていうのが、殆どの場合は無意識にかもしれないけど頼るとおもう。
それが親であり親族であり友達だったり、または宗教だったり。
 直接的な悩み事のそうだんってことに限らず、何となく会って話ししたいなって思ったり調子でないなって言う時に、気兼ねせず顔をあわせてくっちゃべって自分以外の他人から己を受けいれてもらう、概ね肯定してくれることを感じたりできるからもうちょっと頑張ろうっていうふうになれる。マズローの欲求5段階でいえば自尊欲求なのか。。

今はそれが、リアルな現実社会じゃなくゲームやアニメのような非現実的な妄想空間内で、己の都合のいい存在として代用できるキャラクターみたいなのもあれば、チャット?とかで肌も触れないような恋愛や、ココロがついてかない性ビジネスとか成り立っているし、そっちに拠り所をもとめる子らが増えてるんだろうけど、もちろんこういうのは創作物であり、くいもんっていうかビジネスなので拠り所にはなりえないんだけど。
結局そこにはなんにも(お金払えば体裁つくろうくらいはしてくれるだろうが)自己肯定とか自己承認を得られるようなレスポンスはないわけで。疎外感っていうやつに蝕まれるわけなのだろう。

。。。何が言いたいか今度まとめます。。つづく。

土曜日, 2月 21, 2015

「山田孝之の東京都北区赤羽」」にはまる。の巻。


なにげなく話題になっていた、「山田孝之の東京都北区赤羽」ですが、HDDレコーダにとりあえずのとりだめしていたやつを見ました。そして、はまりました。

赤羽じゃないっすけど、北区にすんでいたのでたまに赤羽にも行っていたのですが、やっぱり大根さん側のほうの理解が正しいかと、、そう思っていました。(なにがどうっていうのは、本作をみてくださいw)
だけど、なんていうかこれも大根さんの言っていることそのまんまなのですが、山田孝之さんのように若くして俳優業でプロの制作現場で生きてきた方にとっては、いわゆる世間・リアルな人間っていうのが、いつわりもなくそしていつも一発勝負な空間ということに逆に魅力を感じるということなのでしょう。
山田孝之さんの10年俳優業休業には、さすがにまじすかっていう感じで出てくる周囲の人も驚きでしたけど、「このまま俳優やって、一生安泰がそれでいいのかなって思うのも山田孝之なんですよ」ってさらりと言ってのけるこの人は、天才なのか逆なのかわからんけども、うらやましい人だなぁと・・そう感じました。